動物愛護家について

いきなりですが、「動物愛護活動家は精神病だ」という意見はあるようです。

個人的に、このように一概に人々を簡単に分類してしまうのは大嫌いです。よって、以上の「意見」にはとても賛同できません。

一方、そういう「定説」的なものは、まったくでたらめであることも、滅多にないです。

大体個別なものを、(感情的になって)無理やり一般化するケースは多いです。

どんな「愛護家」や活動家でも、「程よく」しないと、あるいは「度が過ぎる」と、自分自身の生活が不幸になるところか、周りの人まで巻き込んで(例えば物を買わせたり、デモに参加させたり、お金をもらったりする)、人に迷惑をかけてしまうか、とことんと嫌われるかという結末になります。

ここまで言ったら、もはや宗教や仕事、趣味など我々の日常の活動についてすべてあてはめられます。

動物愛護家の話に戻りますが、「愛心」を持って、困っているものを助けるのは、いつでも、どこに行っても高尚なことで、賞賛すべきものです。

しかし、心身ともそれだけ余裕がない状況で無理に遂行すると、逆に何が「愛」であるかがおかしくなります。

自分が幸せでなければ、人を幸せにしてあげることは難しいです。

自分の幸せをとことんと壊すまで、他のものを幸せにするのに奔走すると、第三者から見ると、もはや「精神病」だと言われても、仕方がない部分があります。

人間って、何かに「はまる」と、とことんと極限まで追求しようとするタイプの人がいます。

その極限を追求するために、すべてを捨てても自分の夢を追い続ける人もいます。

そうしていくうちに、本来の目的を見失い、何かをやること自身は目標になってしまい、何が何でも「義務的になってしまいます。つまり、やらないとひどく罪悪感を感じるし、やれば、他のものを壊しても、捨てても幸せを感じるようになります。

その目標のために、何をやってもいいと勘違いしてしまいます。

「ランナーズ・ハイ」に近い状態になります。

そうなったら、そのハイの状態から抜け出せないと、破滅するまで突っ張りるしかなくなります。

全ての人はこうではないので、先頭の「意見」は当然成り立ちません。

参考サイト
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