民主主義は理論上では悪くないシステムです。しかし、民主主義のご本家と自負しているアメリカの大統領選挙を見ると、どうしても、ただのゲームにしか見えません。
ゲームと言っているのは、勝つための活動であり、勝つために作戦を互いに考えて、作戦に基づいて相手を攻撃し、打ち倒すことです。
コンピュータゲームはそのままです。ビジネスにおいては、競合他社を押しつぶすのも同じです。選挙も全く同じ原理です。
悲しいのは、社会全体はそれをゲームとして楽しんでいるだけです。本来は社会や国関する個々の問題について議論しなければいけないのに、たとえそれをしていても、あくまでも自分の選挙の一環として、つまり作戦の一環として行うパフォーマンスになってしまします。
各種のメディアは、また競馬、競輪、競艇などのゲームを評論しているかのように、選挙候補者の作戦を「客観」的に批評します。作戦とは、明らかに票集めの行為であっても、何ら違和感なく淡々と述べているだけです。
有権者はまたそのメディアの批評の動きに左右されて、ある日は候補者一に傾き、次の日はまた候補者二に傾いたりします。二つのゲームソフトが発表されて、どれにするかを迷うかの感覚です。
結局のところ、大統領選挙というのは、いろんな形で宣伝された二つの商品を大衆に一つ選ばせるゲームです。商品である以上、きちんと形が整えられて、パッケージされるので、両社とも大した差がなく、どれを買っても、使えないことはありません。どれもそれなりに難があるけど、我慢すれば大して気にすることもありません。これは、現在の大統領選挙の姿です。